東小雪さんが注目されています。
東小雪さんは現在、日本のLGBT活動家、文筆家、公認心理師として活動。
東小雪さんは宝塚歌劇団花組に男役として所属していたことで注目され、その芸名は「あうら真輝」でした。
東小雪さんは2005年から2006年まで宝塚歌劇団に在籍しましたが、病気のために退団しました。
今回は、東小雪さんの宝塚歌劇団時代についてご紹介いたします。
東小雪の宝塚時代まとめ!芸名は”あうら真輝”
それでは、入団から退団までを見て聞きましょう!
入団のきっかけ
東小雪さんは、北陸学院中学校・高等学校から宝塚音楽学校への道を選びました。
東小雪さんがこの道を選んだのは、高校2年生の時にイギリスで観たミュージカルに深く感銘を受けたからだそうです。
幼い頃からクラッシックバレエを習っていたこと、身長が高かったことです。また、高校2年生の頃にイギリスで見たミュージカルに魅了されたことと、真琴つばささんにも憧れて、「こんな素敵な女優さん(男役と知らずに華やかな女優さんだと思いました)がいる劇団に私も入りたい!」と思ったことも受験のきっかけです。
引用:東小雪公式ブログ
真琴つばささんの存在は、東小雪さんにとって大きな影響を与え、東小雪さんの夢への道を切り開いた重要な部分となりました。
また、幼少期からのクラッシックバレエの経験と、自然と恵まれた身長は、東小雪さんの宝塚への道をさらに後押ししたのかもしれませんね。
2005年20歳で、宝塚歌劇団に入団(第91期生)
東小雪さんは20歳で宝塚歌劇団に入団(第91期生)し、花組で「あうら真輝」という芸名で男役を務めました。
東小雪さんの初舞台は花組の「マラケシュ・紅の墓標/エンター・ザ・レビュー」で、この舞台で一躍注目を集める存在となりました。
その後、花組配属一作目の「落陽のパレルモ」に出演。
この舞台で活躍していた東小雪さんの同期には、後に大活躍するスターたちがいました。
特に愛加あゆさん、音波みのりさん、野々すみ花さんは、宝塚歌劇団での活躍が顕著でした。
愛加あゆさんは元雪組のトップ娘役で、2014年の退団後はワタナベエンターテインメントに所属し、舞台を中心に活動。
音波みのりさんは星組の娘役スターで、2019年の「アルジェの男/ESTRELLAS」で全国ツアー公演の初ヒロインを務め、2022年7月に退団しました。
野々すみ花さんは元宙組のトップ娘役で、2012年7月の退団後、フリーで活動しています。
東小雪さんの宝塚歌劇団での活躍は、彼女が20歳で入団した際から注目されていました。
特に初舞台の「マラケシュ・紅の墓標/エンター・ザ・レビュー」での演技は、彼女の才能を如実に示しています。
その後の「落陽のパレルモ」への出演も、彼女の男役としての魅力をさらに際立たせるものでした。
東小雪さんの宝塚での活躍は、今も多くのファンに記憶されているにちがいないですね。
東小雪は宝塚を一年で退団!
しかし、その後の展開は予想外でした。花組配属一作目の「落陽のパレルモ」に出演してからわずか2週間で、病気により降板せざるを得なくなりました。これは、彼女にとってもファンにとっても衝撃的な出来事でした。
そして、舞台への復帰が叶わぬまま、2006年5月11日には宝塚歌劇団を退団し、芸能活動を休止することとなります。
東小雪さんが宝塚歌劇団を退団した理由は、表面上は病気だったとされていますが、背景にはより深刻な問題があったようです。
東小雪さんが出演していた「落陽のパレルモ」での衣装に針が入っていたことが、退団の直接的なきっかけとなりました。
この出来事は、彼女が自著『なかったことにしたくない 実父から性虐待を受けた私の告白』で述べているように、意図的ないじめの一環だった可能性があります。
さらに、東小雪さんは宝塚歌劇団内でのスクールカーストによって、同期生との関係もうまく築けていなかったとされています。
東小雪さんは、普段話せるのが同期だけにも関わらず、会話にすら入ることができなかったと述べています。
これらの経験は、彼女が退団を決意する上で重要な要因となったと推測されますね。
タカラジェンヌに憧れてやっと入学できた宝塚音楽学校。でも私には合いませんでした。同期になじめなかった。普通に話せるのは同期だけという世界です。そこでの会話に入れてもらえませんでした。今思えばスクールカーストが低かった。自分の位置が集団の下の方だったのだと思います。
引用:中日新聞
東小雪プロフィール